Carlosの喰いしごき調査委員会 東京新宿歌舞伎町。後輩に連れられて本格的朝鮮料理が食べれる店にやってきた。この後輩は在日朝鮮人三世で、このお店も在日の人たちがよく使うお店ということである。実際、店内はハングル語が飛び交い、ふとした瞬間に日本であることを忘れさせるような雰囲気であった...と言っても、もう十年あまりも前の話なので、お店の名前や何を食べたかについては、実のところあまりよく覚えていない。しかし、そのおぼろげな記憶なのかで、唯一印象に残っている料理がある。それが「ムッ」である。 お店のメニューや韓国の食をあつかった本では「ムック」と書いてあることが多いが「ク」は無声音で、正しい発音を聞くと「ムッ」と聞こえる。このとき食べたのはソバ粉で作った「ムッ」だった。直方体の塊りを厚めにスライスしてあり、水羊羹と外郎(ういろう)の間位の歯触りで(歯触りだけの話、甘くはない)、それ自体に特に味つけはされてはおらず、トウガラシ、ネギなどの薬味入りの醤油ダレ(ヤムニョンジャン)をつけて食べた。遠い記憶の中で薬味の利いたタレと独特の歯触りが美味しかったことだけはっきりと記憶している。 ムッの原材料はソバ粉の他に緑豆(注1)を使うこともあるとのことであったが、朝鮮半島の農村部ではあく抜きをしたドングリ(注2)のデンプンを使った「トトリ・ムッ」が有名なのだそうだ。 2.樫の実蒟蒻 ![]() アジア麺文化研究会の懇親会の際して郷村神門本村地区で一昨年まで行われていた「蕎麦祭り」のご馳走を再現していただいた。「蕎麦祭り」は、本来はソバなどの作物の収穫祝って供物を神様に供え、皆でご馳走を食べるという、いわゆる収穫祭の一つである。 お蕎麦、お煮染め、地鶏鍋などの様々なご馳走の中に見慣れないお料理が一皿あった。それは明るい茶褐色で、豆腐か蒟蒻の様な感じのお料理だった。第2話で書いた「清々しい蒟蒻」の刺身と同じ皿に盛ってあり,「清々しい蒟蒻」同様に柚子味噌か生姜醤油で食べるとのことであった。早速頂いてみると、それ自体に特に味付けはされていなかったが、あく抜きされているとはいえ、遠くの方で渋みを感じた。独特の食感が面白く、ついつい箸が進んでしまう。 たまたま同席であった建築家の柴さん(注3)にお聞きしたところ「これは樫の実蒟蒻といってドングリのうちの一つ、カシの実のデンプンを固めたものです」と教えてくれた。柴さんや御馳走をご用意いただいた南郷村役場の原田課長にご教授いただいたところによると、この樫の実蒟蒻は、 1.天日乾燥したカシの実(ドングリ)の殻を剥いて水に漬けてから砕く。 2.木綿袋に入れて白い汁を絞り出す。 3.白い汁を一夜置いて白い粉を沈殿させる。 4.白い粉を加熱しながら練って、型に入れて冷やし固めるて作る。 といった手順で作るのだそうだ。 あまりに美味しかったので、お酒とお喋りに夢中になっている隣のテーブル上から樫の実蒟蒻を、そーっと失敬してきて食べ続けた。最初に食べた(すなわち自分のテーブルの)樫の実蒟蒻は遠くの方で渋みがあるものの「それもまた風味の内」といった感じで美味しくいただいたが、隣のテーブルから失敬してきた樫の実蒟蒻は渋みがかなり近いところまで近づいて来ていて、食べた後に少々口に残った。人の分まで食べて、蕎麦祭の神様の罰が当たったのだろうか? 3.百済王伝説 「今から1300年ほど前に、唐・新羅連合軍により滅ぼされた百済の王族たちが日本に亡命してきたが、大和でゴタゴタに巻き込まれ今の南郷村のあたりに流れついた。しばらくして、またまた、ゴタゴタに巻き込まれて、結局はその一族は悲しい最期を迎えた。」 南郷村にはこのような百済王伝説が伝えられている。詳しい史料はほとんどないいらしいが、南郷村とその周辺にはこれを裏付けるような伝統行事や伝承が残っていることや、同年代のものと思われる銅鏡も大量に出てくるなど信憑性の高い伝説のようである。この伝説が示すように南郷村と朝鮮半島は、なにやら、ただならぬ関係に有るようだ。 このただならぬ関係の両地域に共通してドングリのデンプンを固めたお料理「ムッ」と「樫の実蒟蒻」が存在するのは偶然だろうか? とはいうものの、件の百済の王族が亡命してきた際に朝鮮半島から南郷村に「ムッ」を伝えたと考えるのは、あまりにも短絡的で、いかにも作り話っぽい。 世界の木の実の利用と文化について書いた本「木の実の文化誌(朝日新聞社)」の中で辻氏(注4)は韓国のドングリのムッを「農耕以前の食べ物」と書かれておられる。農耕が行われる以前、自然からの採取によって食べつないでいた昔々の日本や朝鮮半島の人々にとってはドングリは大切な糧だったのであろう。ドングリを貯蔵する穴が各地の縄文遺跡で発掘されていることからもそれは証明される。ということは、樫の実蒟蒻・ムッ的なドングリ料理も、かつては東アジアの広い地域で食べられていたが、何らかの理由で朝鮮半島と宮崎県南郷村周辺だけに残ったと考えたほうが良いのだろうか? 日本を含む東アジアではこの他にも様々なドングリの調理法がある(注5)。また、我々が知らないだけで、もしかしたら、日本の他の地域でも樫の実蒟蒻・ムッ的なドングリ料理が残っているかも知れない。まだまだ、ただならぬ二地域のドングリ関係を解明するには、調べ無ければならないことが多そうだ。 4.「これは食べれんと!」 ある日の午後、同じ職場のYさんのお子さんKちゃん(当時2才半)が、たくさん拾ったドングリを自慢げに見せに来た。「たくさん拾ったね!凄いね!どこで拾ったの?」と言った後に何の気なしに「でも、たくさん拾っても、ドングリは食べれないからなぁ。」とつぶやいてしまった。それを聞いたKちゃんは「食べれないのぉ?」ととても悲しそうな顔をした。可哀想に美味しい栗と同じ様に食べられると思ってたくさん拾ってきたのだろう。 数日後、Kちゃんと彼のお兄ちゃんがお庭でおままごとをしていた。泥団子や葉っぱ等を盛りつけたお皿を並べて、二人で仲良く「いただきます!」と楽しくやっていたとき、Kちゃんがお茶碗に盛りつけてあったドングリを指さして再び悲しそうな顔をして言った。 「これは食べれんと!」 Kちゃんに訂正してお詫びしたい。「本当はドングリは縄文の昔から食べられてきたんだよ」って。 注1 緑豆 : リョクズ、リョクトウ。(Vigna radiata (L.) Wilczek.)この豆から取れるデンプンから春雨が作られる。モヤシもこの緑豆を発芽させて作られる。日本では春雨かモヤシぐらいの利用しか見られないが、アジア諸国では、お粥に、お菓子に、デザートにと様々な利用法が見られる。中国滞在中に聞いたところによると「暑気を払う効果があるので夏に食べると良い」らしい。 注2 ドングリ :カシ、シイ、ナラ、クヌギ、ブナなどのブナ科の木の実、堅果類の総称。シイの実以外はあく抜きをしないと渋くて食べれない。ドングリのあくの成分は「タンニン」。シイの実は甘みがあって炒ってでも生でも食べれる。長崎島原出身の我が父親は子供の頃学校の帰りにシイの実を拾って生で食べたと言っていたし、少年期を熊本県で育った友人のE君もやはりシイの実を学校の帰りに拾って食べたと言っていた。私が住む福岡県久留米市にある神社水天宮では、今でもお祭りの際に並ぶ屋台の中にシイの実を炒って売るお店が出る。ほんのり甘くてとても美味しい。 注3 柴さん: 柴さんは南郷村や諸塚村など宮崎県山間地域で産直木材を使った家造りを進めてらっしゃる建築家で、この地域の生活文化に造詣が深い。ちなみに懇親会の会場となった南郷村「コテージ山霧」や同村の資料館「百済の館」も柴さんの設計によるものである。柴設計 注4 辻氏: 立命館大学文学部の辻稜三氏。堅果類(すなわちドングリ類)の利用の研究に関しては、辻先生と「木の実の文化誌」の編者の1人である国立民族学博物館の松山利夫先生のお二人が日本の第一人者である。もっとこの先生方の文献を読んで勉強しなければ.... 注5 利用法: 対馬と韓国ではドングリご飯として、あく抜きした挽き割りドングリをご飯に混ぜて食べていた(「聞き書長崎の食事(農文協)」、「木の実の文化誌」)。東北北上山地では黄粉を付けて食べる炊いたドングリもあったらしい(「木の実の文化誌」)。 そう言えば、最近、「トトリ・冷麺」というドングリ粉入りの冷麺を見つけたので買って食べてみた。コシがあって美味しかったが、あくが完全に抜けていて「トトリ」らしい渋みが感じられなかったのはホッとしたような、ちょっと物足りないような。 |