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    気合豆腐は登録商標です!


 豆腐は中国発祥で、主に東アジアから東南アジアで広く食されています。あまりにも身近過ぎて、その食べ方はなどと大上段に構えて説明するのも憚られます。
 豆腐の起源に関して、多くの文献が拠り所としているのは、中国の明の李時珍〈リジチン〉によって著された『本草綱目』の中の一説です。しかし、この記述にも疑問が残り、豆腐をいつ頃どこで誰が発案したのかは、実のところわかっていません。また、我が国に豆腐が伝えられたのは遣唐使によってという説があります。しかし、豆腐という文字が我が国の文献に見られるようになるのは、平安時代後期以後です。鎌倉時代になって中国の宋から伝来した禅宗で僧侶は、修行の一環で肉や魚を避けて精進料理を食べるようになりました。精進料理で豆腐は、タンパク源としての役割を今日も果たしています。
 主に僧侶や武士の食べ物であった豆腐が庶民に広まったのは、江戸時代です。豆腐が幅広く親しまれていたエピソードをいくつか紹介しましょう。1782(天明〈テンメイ〉2)年に『豆腐百珍』という100種類の豆腐料理を紹介した本が、出版されました。翌年にはその続編が、さらにその後に付録が出て、3冊に載せられた豆腐料理の合計は240種類になります。また、江戸には豆腐料理屋が、何軒も出現しました。名店の筆頭は、元禄の頃に初代が京から江戸に出てきて店を始めた「笹の雪」。「笹の雪」は、江戸で初めて絹ごし豆腐を売り出しました。なお、今日でも台東区根岸で営業しています。それから、両国橋の東詰〈ヒガシヅメ〉には2軒の淡雪豆腐屋があって、相撲見物の客で賑わっていました。さらに、千住の真崎稲荷の境内には田楽茶屋が8軒並んでいて、その中でも「甲子屋〈キノエネヤ〉」が有名でした。「笹の雪」も「甲子屋」も吉原に近いことから、遊郭通いの客たちによく利用されていました。最後に、エピソードをもう一つ。江戸時代、豆腐料理は、江戸よりもむしろ京で人気でした。八坂神社に参拝する旅人は、鳥居の左右にある二軒茶屋のどちらかで豆腐田楽を食べるのを楽しみにしていました。2本串で焼き上がった豆腐に白味噌というのが評判となり、祇園豆腐と呼ばれて親しまれていました。また、南禅寺の湯豆腐も、京を訪れる旅人に好まれていました。これらに異を唱えたのが、あの滝沢馬琴。彼は、「南禅寺豆腐は江戸の淡雪に劣れり」とか「祇園豆腐は真崎の田楽に及ばず」と述べています。いかにも江戸贔屓の馬琴ならではです。
 ところで、豆腐は「豆、腐る」と漢字で書きます。製造にはきれいな水が必要で、何より鮮度が大切なのに、腐るとは何に由来するのでしょうか。この解釈にも諸説ありますが、次の説明が理解しやすいと思われます。腐るの「腐」は大阪府の「府」を冠に「肉」と今日では書きますが、一説では以前は腐るの「腐」の冠は倉庫の「庫」だったというのです。倉庫の「庫」に「肉」と書く漢字は獣などの肉を倉で保存して柔らかくすることを表していて、後に冠が替わり、意味も肉に限らず柔らかい物を表すようになりました。つまり、豆腐とは、柔らかい豆のことだというわけです。
 豆腐の製造方法は、昔も今も基本的には変わっていません。大豆は選別して、水洗いし、水温や気温によって異なりますが、8〜18時間水に漬け置きします。この大豆に水を加えながら磨砕します。大豆汁は煮沸し、豆乳とオカラに分離します。豆乳は凝固剤で固めます。凝固にはにがり(塩化マグネシウム)などを使用する塩凝固〈エン_〉と、グルコン酸による酸凝固があります。なお、グルコン酸は、オリゴ糖と同様に腸内でビフィズス菌を増やす有機酸です。木綿豆腐は、凝固させた物を崩して布を敷いた型箱に盛り込み、圧搾成型して所定の大きさにカット、水にさらして包装します。名前は、食感の粗さから命名されました。絹ごし豆腐は、豆乳と凝固剤を型箱の中で混合、全体を均一に凝固させて所定の大きさにカット、水にさらして包装します。名前は、きめ細かく滑らかな組織から命名されました。絹の布でこすわけではありません。木綿豆腐や絹ごし豆腐のほかに、ソフト豆腐、充填絹ごし豆腐、寄せ豆腐、水分を少なくした堅豆腐などがあります。なお、ざる豆腐とは寄せ豆腐の一種、高野豆腐は堅豆腐に分類されます。
 さて、東京の下町・葛飾区宝町〈タカラマチ〉に、気合のみなぎったそして気合の大好きな豆腐屋の店主がいます。その店主とは新井弘幸さん、1963年生まれ、埼玉屋本店の三代目です。蕎麦屋になる志を立て、18歳から5年間、浅草の並木藪蕎麦で修行しました。23歳のとき、死期の迫っていた初代の祖父から「弘幸、豆腐屋を継いでくれないか」と言われて店を手伝うことにしました。店を全面的に任されたのはそれから10年後。その頃、新井さんは、スーパーで売っている豆腐を食べて品質や味で負けていることに驚愕、それから品質のいい豆腐作りに邁進しました。そして、2000年6月に巡りあった国産大豆の玉誉れが、新井さんの豆腐屋人生を変えました。玉誉れは低タンパクで甘味があって、豆腐作りのためにあるような大豆です。新井さんは、「玉誉れを豆腐に寄せることで、技術的にも人間的にも随分成長しました」と振り返ります。なお、玉誉れで作る豆腐に関して気合豆腐というブランドを、2004年9月に商標登録しました。「豆腐作りで何が難しいのですか」と伺うと、「美味しい豆腐にするためには、豆乳を濃くしないといけない。うちの豆乳は15〜16%。濃い豆乳を中まで火を入れて煮上げるのが難しい。さらに、にがり100%で寄せるのが、技術的には結構苦労しました。寄せ具合は、豆乳の質と温度、にがりの量、かき混ぜ方で決まってきます。これは体で憶えないといけない。それが職人の技術、感性なんです」と新井さん。
 あるとき夢酒は、知り合いの酒屋に勧められるがままに豆腐を食べて驚きました。それが、新井さんの気合の入った「気合の青」でした。甘い、柔らかい、大豆の風味が口の中にふわっと広がる…。今まで食べたことのないタイプの豆腐でした。「気合の青」は、にがり100%使用の絹ごし豆腐です。原料の大豆は、山形県上山市〈カミノヤマシ〉の横田さんの作る「山形秘伝青大豆」と岩手県北上市〈キタカミシ〉の照井さんの作る「黒神〈コクジン〉大豆(小粒青大豆)」のブレンドです。そのブレンドの比率をどうするかで新井さんは試行錯誤、ようやく今の味と色の出し方に辿り着きました。調味料も薬味もいりません。とにかくそのまま一口食べてみてください。でもという方は、塩をぱらっと振り掛けて一口、それでも駄目なら醤油を2、3滴垂らして一口。なお、青大豆、「気合の青」といっても、青信号同様色そのものは緑です。
 「気合の青」一丁315円、「気合豆腐絹」一丁200円。お問い合わせは、埼玉屋本店(03-3691-4951)へ。注文の際は、本誌の読者だと言い添えてください。賞味期間は到着後4日、冷蔵保存。 (夢酒タナベ)
(『ライト&ライフ』2006年5月1日号NO.460 社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会発行)