「下町の粋な酒場から生まれた大ざる豆腐」

 私共のお店は京成本線「お花茶屋」駅が最寄り駅となっております。そのお花茶屋駅から雨降りでもあまり濡れない程の近い所に「東邦酒場」さんという居酒屋さんがあります。このお店では埼玉屋の商品を使っていただいておりまして、かつ、私の行きつけのお店でもありまして、すなわちお互いにお得意様な訳なのです。ある日、いつものように美味しいお酒とお料理を楽しんでおりますと、とてつもなく大きなコロッケが隣のお客さんの席に運ばれて行くのを目撃しました。その時は、ただただ、その大きさに呆気に取られるだけでしたが、次の日、商品を納めにお店の方に伺った際に、ご主人の遠藤泰典さんにその大きいコロッケについて聞いてみました。

草鞋ころっけ
東邦酒場草鞋ころっけ 
 550円(要予約)
http://homepage2.nifty.com/
touhousakaba/

東京都葛飾区宝町2−36−8  03(3697)0644
 「あれは草鞋(わらじ)コロッケと名づけられた東邦酒場の名物なんですよ。お客様に喜んでいただけるように、草鞋をイメ−ジしてあの大きさにしてあります。でも、大きければ良いという訳では無く、もちろん美味しくなければ話になりません。これだけ大きいと、形を崩さぬよう固めに仕上げたり、火の通し加減が甘かったりしがちですが、それでは名物としての価値が無いのです。大きくても、普通のコロッケのように箸で切れる固さに仕上げてありますし、中まで揚げたての熱々です。そしてもうひとつ、大きいコロッケならではの味わいをそこに仕込んであります。それはジャガイモを全てマッシュ状にせず、所々に潰れていないところを織り交ぜて、蒸かしたジャガイモのホクホク感を演出していることなんですよ。これこそが当店の草鞋コロッケならではの醍醐味なんです。」
そして「名物」についてのご主人の持論も聞かせて頂きました。
「名物ってのは、気取っててはダメなんですよね。でかいから、特別だからって値段を割高にしてしまってはいけませんね。それから、同じような物がそこら辺に有っては名物とは言えません。そして何より美味いことが絶対条件。つまり、どこにもない特別なもの、美味しいものを、特別でない値段でお客様にお出しする。名物っていうのは、こうでなくちゃいけないと思うんですよ。これが東邦酒場流のおもてなしであり、葛飾の男の粋ってもんです。」 

 このお話を聞いて感銘を受けた私は、当店でも「名物」になり得る豆腐を作り、葛飾の男の粋をお客様に味わってもらおうと決心しました。どういった豆腐を当店の名物にするか悩んだあげく、自分にとって一番思い入れのある「ざる豆腐」を、さらに大きく、さらに見栄え良くして「名物」として仕上げることにしました。「ざる豆腐」は、豆乳をにがりで固めた状態のもの(寄せ豆腐)を、そっと形を崩さないようにすくい上げて、ざるに乗せていって作ります。ざるに乗せていくことにより豆腐自身の重力だけで余分な水分を切っていくことになり、豆腐本来の味が楽しめるようになります。私は、この「ざる豆腐」なら、その美味しさとともに、その形の美しさも活かせるので、「名物」としてお客様に楽しんで頂くにはぴったりだと思ったのです。
気合豆腐「大ざる」
埼玉屋の大ざる豆腐1000円
大ざる豆腐は東邦酒場さんでもお召し上がりいただけます。(要予約
 しかし、低蛋白大豆タマホマレを使って、にがり100%で寄せ豆腐を作るという当店の作り方で、ざる豆腐を大きなサイズに仕上げると、豆腐が自分自身の形を支え保つことが難しくなってきます。これは寄せ豆腐の段階である程度弾力を持っていなければならないことになります。要するに、私は「弾力の有る寄せ豆腐」を製作するために、「完璧なにがり凝固」が求められたわけです。この難題を抱えて、幾度となく失敗を繰り返しはしましたが、東邦酒場ご主人の「葛飾の男の粋」という言葉が耳から離れず、あきらめることはできませんでした。そして、研究と努力の結果、新名物「大ざる豆腐」を造り上げる事が出来たのです。さらに、その後の試食段階において、ざる豆腐を大きくしたことによるメリットがもう一つ見つかりました。先ほども申しましたように、ざる豆腐とは寄せ豆腐をざるに乗せ、豆腐自身の自然な重力で余分な水分を切り美味しさを濃縮させた豆腐なのです。このため、ざるに近い底の方の豆腐は重力がかかり、やや固く濃厚になりますので、しっかりとタマホマレ大豆の味を主張してくれる仕上がりになっていました。一方、上の方の重力のかからない部分の豆腐は口の中でふわっと溶けるような味わいに仕上がりました。すなわち、大ざる豆腐は大きくする事によって、味の変化を楽しめる豆腐になったのです。
 かくして、大きくて、形も美しく、美味しくて、味の変化も楽しめる名物が生まれたわけですが、それに至るまでの努力を惜しまなかったことが、良い結果を結んだのではないか?と、私は確信しています。

 読者の皆様、葛飾名物、東邦酒場の「草鞋ころっけ」、埼玉屋の「大ざる豆腐」をお召し上がり頂き、「葛飾の男の粋」を是非一度体験してみてはいかがでしょうか?

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光琳社「食の科学」 2002年7月号に掲載分